サンシャイン



 リコちゃんは不思議な子。
 ぱっと見た感じはとても大人しそうだから、
 例えば同じ学校で出会っても、私からは話しかけなかったかも知れない。
 口数は多くないのに、なぜか話しやすい。
 体は小さいけれど、一緒にいると落ち着いて、
 まるで大きな犬が寄り添ってくれているかのような気持ちになる。
 きっと、心が広いんだろうな、と私は思っている。


 誰にも言えないまま恋をして、誰も知らないうちに勝手に失恋した。昨日の事だった。

 センパイと出会ったのは、春。私の入学した学科はとても小さくて、1、2年生合わせても30人ほどだった。そのため、合同で教室を使うことが多く、センパイとは自然と仲良くなっていた。仲が良いと言っても、教室の中だけの話。勉強のことだけの会話。 それだけのことだった。それだけのことが、なぜかとても嬉しかった。

 そのうち、信じられないくらい長い夏休みが始まって、私は少しでも時間が早く流れるようにと、アルバイトを始めた。学校の近くのパン屋さん。初めてのアルバイトは、覚えることがたくさんあった。私の働くカウンターは厨房に近くて、外の暑さに負けないくらい、いつも暑かった。汗でドロドロになりながら、私は毎日働いた。
 そこで出会ったのが、同期のリコちゃんだった。同期が2人だけの私たちは、気づくと一緒にいることが多くなった。仕事が難しいだの、暑くて疲れただのとうるさい私の愚痴を、リコちゃんはいつも黙って聞いてくれた。リコちゃんは一度も弱音を吐いたことはなかった。

 そんな夏休みが明ける3日前の昨日。バイトが終わって店を出て少し歩いた時、向かい側の道をセンパイが歩いているのを見つけた。話しかけようとしたその時、センパイに小走りで近づいてくる人がいた。私の知らない、髪の長い女の人。二人は手を繋いで歩き始めて。私はその場から動けなくなり、歩いている二人をじっと見ていた。センパイはずっとその女の人を見つめていて、とうとう私に気づかずにいってしまった。
 それだけのことだった。それだけのことが、なぜかとても悲しかった。
(ああ、これは恋だ)
 失恋した瞬間にそう気づいてしまった。


「リコちゃん!」
 待ち合わせ場所の本屋さんにあわてて向かうと、すでに店内にはリコちゃんが居て、思わずガラス窓の向こう側へ声をかけた。

 さすがに昨日は泣いてしまい、朝起きたらまぶたが思い切りよく腫れていた。濡れタオルで必死に落ち着かせてみたものの、腫れは完全に引くことはなくて、コンタクトを諦めてメガネでカモフラージュすることにした。私の持っているメガネの縁の色は赤く、今日着る予定だった服の色と相性が合わなかったので、結局一から違う服をコーディネートすることになってしまった。そんな風にバタバタしていた結果、私はリコちゃんとの待ち合わせに遅刻してしまった。

「待った?」
「待ったけど、おかげで面白い本立ち読めたよ」
 私ならこういう時に、例え待たされていたとしても相手に合わせて「待ってないよ」と言ってしまいそうだけど、リコちゃんはそんな変な気の使い方はしない。リコちゃんと過ごすときの居心地の良さは、一つ一つのそういった所から来ているのかも知れないな、と思う。

「珍しいね、あいちゃんから誘ってきたの」
「というか、実は初めてなんだけど」
「うん。実は知ってた」
 そう答えてリコちゃんは少しはにかんだ。実は二人きりで遊ぶのは今日が初めて。
「どうしたの?」
 と聞かれたけれど私は、んーべつにー、と、はぐらかす。どうしてリコちゃんを誘ったのかは、私にも分からなかった。
 ただ、昨日ひとしきり泣いたあと、私はなぜか無性に、誰でもなくリコちゃんに会いたくなったのだ。


 地元のショッピングモールでウインドウショッピングを楽しんだあと、私たちはその中にある一軒のコーヒー屋さんでお茶することにした。

「今日はメガネなんだね」
 リコちゃんはアメリカンコーヒーの入ったカップを両手で持ち、私の顔を珍しそうに見つめる。
「うん。本当はコンタクトの方が好きなんだけどね」
 実は泣きすぎて似合わなくなってしまって、とは言わなかった。始めからリコちゃんにセンパイのことを打ち明けるつもりもなかった。
「どっちも似合ってて羨ましいな。わたしメガネ似合わないもん」
「え、リコちゃんていつもコンタクトなの?」
「そうだよ? 知らなかった?」
「知らない! 初めて聞いた!」
 当たり前のことだけど、結構仲良くなれたと思っていたリコちゃんにも、まだ私の知らない面があって。私はついそれを忘れてしまう。そして思い出しては、淋しくなる。それは、リコちゃんのことだけじゃなくて。

「きっと、知らないことだらけなんだろうね」

 昨日の事と重なって、私はそう呟いた。
 思い出す、あの光景。私とは正反対の、髪の長い知らない女の人。知っているはずのセンパイが見せた知らない顔。
うっかり鼻の奥がつん、となってしまい、私はそれをカフェオレを飲み込んでごまかす。けれど、リコちゃんはそんな私の雰囲気を察したのか、一瞬少し心配そうな表情を浮かべていた。私が話題を切り替えて、慌てて笑顔を作ると、それ以上リコちゃんから触れてくることはなかった。

 それからも、センパイのことには全く関係のない、くだらない世間話をたくさんした。リコちゃんは黙って私の話を聞いてくれた。いつもと同じように。私の心に寄り添うように。そうしてただ一緒に居てくれることで私は、気持ちが救われた気がした。


 別れ際に私は今日遊んでくれたことへの簡単なお礼を告げた。すると、リコちゃんに、
「あいちゃんてさ、何気にそういうとこ、すごいよね」
 と言われた。『そういうとこ』っていうのが、『どういうとこ』なのかさっぱりわからなかったけれど、せっかく褒めてくれたのだから再びありがとうを言うと、
「ほら、また」
 と言って、リコちゃんは笑い出す。何がおかしいのかツボにはまったみたいだ。笑われながらも私は、リコちゃんが笑ってくれるなら、別になんでもいいや、と思った。
「じゃあ、また土曜日に」
「うん、バイバイ」
 と言って私たちは背を向けて歩き出す。空が赤い。もう夕暮れの時間。リコちゃんとのお別れの時間。それだけのことだった。それだけのことが、なぜかとても淋しかった。
 私の鼻の奥がまたつん、となったその時、

「あいちゃん!」
 と、私の名前を叫ぶ大きな声。
「元気出してね!」

 それは体の小さなリコちゃんとアンバランスなくらい大きな声で。
 振り返ると、リコちゃんが、さっきバイバイをした場所から一歩も離れず私の方を見ていた。
 びっくりした。でも、それ以上に、凄く嬉しくて。そして心の底からこう思った。

「リコちゃんてさ、何気にそういうとこ、すごいよねー!」

 さっきのリコちゃんに負けないくらい大きな声でそう叫ぶ。夕焼けのせいでリコちゃんの表情は真っ赤に染まって、よく見えない。けれど、私にはいつもの不器用そうなはにかんだ顔をしているように見えて、目頭がちょっとだけ熱くなった。昨日とは違う涙。ありがとうの涙。

 リコちゃんはやっぱり不思議な子。
 体は小さいけれど、一緒にいると落ち着いて、
 まるで大きな犬が寄り添ってくれているかのような気持ちになる。
 小さな体に、優しくて、大きな心を宿した、すごく素敵な女の子。

 明日また輝くために、夕日がだんだんと沈んでいく中で私はそう思った。