グッドナイト・ワールド



「明日もし、世界が終わるとしたら、どうする?」

 彼女は声のほとんどが吐息のようなしゃべり方をする。
 甘いような、切ないようなその声が受話器越しに聞ける23時を、僕は毎日楽しみにしている。

「終わるってどんなふうに?」
「なくなっちゃうの。全部」
「痛いの?」
「痛くない。優しくて、温かいの」
「優しくて、温かいのに終わっちゃうんだ」
「優しくて、温かいから終わるの。終わらせるの」
 彼女の質問はいつも唐突。突拍子がない。そこが面白いからこそ、二人の関係は続いているんだと思う。
 24才と13才の、しかも元家庭教師と元教え子という端から見たら不健全極まりないこの関係は、恋人同士と呼ぶには未熟過ぎ、友情と呼ぶのとは色が違う。兄と妹……いや、やはり元家庭教師と元教え子だ。

「むしろ何かが始まりそうなんだけど」
「もー、それはいいから。ねえ、どうする?」
 抽象的な例えなのか、それとも本当に、世界の終わりとやらが見えているのか。
 思春期独特のせっぱつまった雰囲気を纏った彼女のことが、僕は時々少し怖くなる。

「明日かー」
「うん、明日」
 僕は素直に考える。あした、せかいが、おわる。
「普通に生きる」
「普通?」
「うん。朝起きて、会社行って仕事して、上野さんにいつもみたいにからかわれてさ、終わったら家に帰って来て、風呂入ってビール飲んで、野球見ながら飯食べて、ネットする」
「いつも通りだ」
 そう、いつも通り。
「それで」
「うん」
「カノコちゃんに電話する。今みたいに。今日はあーだったよ、こーだったよって、お話しする」
「うん」
「それで、ベッドの中でしばらく話して、おやすみって言うかな」
「うん」
 優しくて、温かい。
「それで眠るんだー。気持ちよく眠りたいな。今日も一日ありがとう、今までありがとう、って」

 それは、自分でも驚くほどに明確なイメージだった。
 世界が終わる時、僕は僕の世界で、僕の世界を抱きしめて眠りたい。

「カノコもね」
 自分で「カノコ」と言う時の彼女の声は、いつもの大人びたトーンより実年齢に近い響きがする。
 どちらも僕の大好きな音。
「うん」
「カノコも、透くんと同じがいいな」
「同じ?」
「普通に生きたい」

 それは、感受性の強さから周りになじめない彼女の、無意識に出た祈りに思えた。

「そっか」
「うん」
「同じがいいか」
「約束ね。世界が終わる日、二人は同じに過ごすの」
「いいね。じゃあ、約束」
「約束」
「うん」
 優しくて、温かい 世界の終わりに。
「ありがと」
 ありがとうは、僕だって同じです。
「じゃあもう寝るね」
「ん。おやすみ」
「おやすみ、透くん」

 この関係は、きっとずっと続くわけではないし、カノコちゃんもそれをわかってる。

(それでも、もう少しだけ)
(彼女が眠りにつくまでの時間を僕に見守らせてください)
(どうかどうか眠っている間だけは彼女が不安になりませんように)

 僕は今日も誰でもない神様に祈りながら眠りにつく。

 優しくて、温かい 世界の終わりに、僕と同じに過ごすと誓ってくれた君へ。

 おやすみなさい。