二度目のキス
あと三歩、あと二歩、あと一歩……
「おーちゃん!」
あたしは後ろからその変なくるくるパーマの長髪頭に抱きつく。
「おう、まいちゃんか」
格闘ゲームで遊んでいたおーちゃんが笑う。見えないけど声でわかる。
「中学生がー、また学校サボってこんなところでー」
「おーちゃんこそ三十路のおじさんがゲーセンですか?」
ふたりで顔を見合わせて、んふふと笑う。今日初めて見るおーちゃんの顔。
「ちょっと待ってて。今自販機で何か買ってくる」
あたしの頭をポン、とたたいておーちゃんは席を立った。
格闘ゲームの画面にはGAME OVERの文字。さっきあたしがおーちゃんの頭に抱きついたせいみたい。
学校はつまらない。つまらないからあまり行かない。
家もつまらない。つまらないからあまり帰らない。
鞄の中にはケータイとお財布さえあればいい。
おーちゃんとは三ヶ月くらい前に知り合った。
お昼に公園でハンバーガーを食べてたら、おーちゃんがベンチで寝てて。変なくるくるパーマの長髪頭に、ピッタリした紫色のTシャツ、それに工事現場の人が履きそうな幅の広いパンツ。年齢も職業も不明なその容貌にあたしは釘付けになった。
「@変な宗教の人。Aお笑い芸人。B意外とサラリーマン! ……それはないかぁ。」
一人であーだこーだ呟いてたら、急にその人はむくりと起き上がって言った。
「C、大谷幸人、三十歳、大学生です!」
ゲームの前の椅子に座って、なんとなくくるくる回っているところにおーちゃんが缶ジュースを抱えて帰って来た。
「ミルクティーでよかった?」
あたしはこくんと頷いた。おーちゃんもあたしと同じ缶を持っている。
「まいちゃん最近どうよ?」
「元気だけどもうすぐテストらしくてちょっとかなしー」
「おう! 若いとは素晴らしい!」
「おーちゃんだってテストあるんでしょ?」
「それでも若いとは素晴らしいもんだよ」
と言ってミルクティーをごくっと飲んだ。全く、話がちぐはぐだよ。
でもこれがおーちゃんなんだけど。
「おーちゃん今日大学は?」
「今日はお休み。……そんな嬉しそうな顔しないの」
やれやれ、って顔はするけれど、顔の奥のほうでは多分笑ってる。
「じゃあ今日は夜まで一緒にいようよ!」
「うん、そのつもりだった。……ちょっと話もあるし」
行こ、と言っておーちゃんが立ったからあたしも慌ててついて歩いた。おかげで、つい何の話なのかを聞くきっかけを逃した。
おーちゃんは何でも知っている。楽しい遊び場もたくさん知っている。黒人さんばかりのお洋服屋さん、聴いたことのない曲ばかりが流れているカフェ。すっかり「あたしたちのコース」は決まっていた。
そして夕方になると最後は必ずここに来る。ゾウさん型の滑り台がちょっと有名な公園。あたしとおーちゃんがはじめて会った場所。
「いただきまーす!」
今日の晩御飯はカップ焼きそばと缶チューハイ。一応いつもおーちゃんの奢りだったりする。
「美味しいご飯と可愛い女の子、今夜の月は綺麗だし最高だー!」
今のはあたしのセリフ。
「なんて思ってたんでしょ?」
こりゃあ一本取られた、と言っておーちゃんは笑った。笑ったふりをした。お酒の弱いおーちゃんのチューハイはもう三本空いている。
「まいちゃん、おれダイガクセイじゃん」
そして四本目に入る。
「だからさ、たくさん勉強しなきゃーなのね?」
お酒の力を借りないと話せない話みたい。
「だからね、まいちゃん」
顔が真っ赤になってるし。
「学校行きなよ」
「……おーちゃんさ、話がちぐはぐだよ?」
「それから家にもちゃんと帰りな」
「おーちゃんもうお酒やめ」
初めてのキスはチューハイの味がした。
「おれさ、来月から日本にいないから。留学してくるよ」
あーあ。
これだけを言うために飲めないお酒四本も飲まないと話せないんだもんなぁ、この人は。
「来月になったら、ホラ、まいちゃんはクラス替えもあるしさ。そしたらおれみたいに楽しい子もいるかもしんないし。で、そしたら今よりもっと毎日楽しいかもしんないし。……あー、そしたらなぜか家も楽しくなってきてさ、そしたらおれが帰って来る頃にはまいちゃんもっといい女になってるかもしんな……う……あ……」
げぇー!
と言っておーちゃんは吐いた。げろげろに吐いた。キスしたあとに吐く男がいる? 全く、もう。
本当はね、ずっとずっとおーちゃんがあたしの心配をしてくれてるのはわかってた。
でも何も言わないおーちゃんにあたしは気づかないふりをしてみせた。
優しいおーちゃん。
お兄さんみたいなおーちゃん。
色んなことを教えてくれた、
大好きなおーちゃん。
「服、ゲロまみれ。ゾンビみたい」
本当だー! って笑うおーちゃん。
「何年?」
「三年」
「あたし女子高生かー」
「なれるの?」
「なるの」
「……そっか。」
それがあたしの答え。なってみせようじゃない。
「でも女子高生じゃまだ犯罪だわ、おれ」
「ばかおーちゃん!」
ふたりで顔を見合わせて、んふふと笑った。
約束よ。迎えに来てね。
二度目のキスは、あたしからした。
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