きみとぼくの理由



 佐倉 梓は目立たない女の子で。
 僕が教室に着くと必ずそこにいる。
 二年のときまで僕より早く学校に着く子がいるなんて気づかなかった。
 佐倉はいつも文庫本を読んでいて。
 僕から話し掛ける理由も無いから、
 二十分間の沈黙が流れる。
 そうすると次々と教室にみんながやって来て。
 僕は友達なんかと話をする。
 僕の席は一番後ろで佐倉の席は一番前だから、
 人が段々増えてゆく教室で、
 僕は段々佐倉が見えなくなってゆく。

 毎日、毎日。
 僕は段々佐倉が見えなくなってゆく。


 朝。
 僕は国語が嫌いだ。
 今日みたいに朝一の授業が国語だと、
 今日という日一日が嫌いにさえなりそうだ。
 僕はウォークマンのスイッチを入れる。
 こういう時、一番後ろだということに優越感を感じる。

 ただ。
 佐倉は一番前なので。

 (頭しか見えないなぁ……)
 どうして佐倉はあんなに小さいのだろう。
 (あ、ちゃんと教科書読んでる)
 きっと真剣な顔つきで読んでいるのだろう。
 ――毎朝、文庫本を読んでいる時みたいに。
 佐倉は国語が得意だ。
 僕なんかと違って、いつもテストの点が良いから。
 国語の、読書の、何が楽しいんだろう。
 僕なんか活字見るだけで参ってしまうのに。
 佐倉は一体何が楽しいんだろう。
 佐倉は

 その時。

 僕の耳に繋がっていた物が抜かれ、変わりに怒鳴り声が聞こえてきた。
 ――これだから僕は国語が嫌いだ。


 放課後。
 「高宮君」
 と、声。
 下駄箱にて、僕はウォークマンを止める。
 (誰?)
 見たことのない顔。ショートカットで背も高めの、女の子。
 「隣の、三年二組の、佐々木 ユイって言います」
 ……はぁ。
 「実は同じクラスにはなったことはないけれど」
 ですよね。
 「私」
 「ずっと高宮君のことを見ていました」

 「それって僕のことが好きって事ですか?」
 言ってしまったことの恥ずかしさに言ってしまった後に気づいて、
 僕の気は遠くなった。

 ササキ ユイさんは照れ笑いを浮かべて僕の質問に頷いた。

 なんだこれ。これは現実?
 ササキ ユイさんが僕のことを  ――好き?

 「良かったぁ、言えたぁ」
 「あの」
 「ごめんなさい、それだけ」
 それだけ、って……。
 「返事はわかってるから」

 「だって高宮君好きな子、いるでしょ?」

 じゃあ、といってササキ ユイさんは帰っていった。
 僕はなんだか

 僕って、
 ちっぽけだなぁ、と

 思った。


 夜。
 「好きな子、いるでしょ?」
 ササキ ユイさんの言葉が頭を廻る。

 「ずっと高宮君のことを見ていました」
 見えなくなってゆく、っていうことは、
 見ていたから、っていうことで。

 毎日毎日佐倉が見えなくなってゆく、っていうことは。

 ことは。

 「好きな子、いるでしょ?」

 ながい夜が、更けていった。


 朝。
 佐倉 梓はやっぱり目立たない女の子で。
 今日も僕が教室に着くとそこにいた。
 佐倉は今日も文庫本を読んでいて。
 僕から話し掛ける理由は……。

 「佐倉」

 小さなそのシルエットが動く。その光景はとても綺麗で。

 「おはよう」
 「おはよう、高宮君」

 僕が話し掛ける理由は、佐倉をずっと見ていたいから。

 一番後ろの席の僕は、たった二十分だけだけど、一番前の席に座った。